江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

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旅その3

歩いた歌舞伎役者

18代中村勘三郎さんが昨年亡くなられましたが、江戸時代の12代中村勘三郎の義弟
に中村仲蔵と言う役者がいました。この方とにかく食べる事が好きで自伝「手前味噌」
の中で、旅巡業での各地の食べ物について書いています。この絵の象吉の様に食べる事
に興味津々だったんでしょうかね?
現代の歌舞伎役者は、地方へ行く場合は新幹線か飛行機、又は車で移動しますが、江戸
時代の役者はひたすら歩いた訳です。駕篭や馬も使えますが、それにはお足がかかるし
殆どは歩きでした。役者は出演料を持ち歩く事があったので、雲助や護摩の灰に狙われ
大変だった様です。ある意味とても逞しいですね!
江戸三座(中村座・市村座・森田座)の役者は、三都以外の旅興行を禁止されていまし
たが、例えば、火事で芝居小屋が焼けて仕事が出来ない様な場合は特別でした。
中村仲蔵もあちこちの地方巡業に出ています。歩いてね、、、。
●豆知識
絵に描いてある、左の「関札」は、街道沿いによく立ててあり、宿に泊まる大名の名が
掲示してありました。右の「棒示杭」には「自是より何何宿」などと書いてありました
この絵では、ぼくは遊び心で石標にして、「左鎌倉道」と描いてみました。




「象吉と犬助の二頭は、江戸での大仕事を済ませ、いざ、伊勢神宮へ旅に出た
のであります。象吉はと言いますと、街道沿いの名物を食べるのが楽しみで仕方ないの
であります。犬助は見かけによらず、真面目な振る舞いばかりなり」

                                             Text & Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 11:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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飛脚

チリンチリンの便り屋

江戸時代の郵便屋と言うと「飛脚」の言葉が浮かぶと思いますが、本来の飛脚は
「三度飛脚」と言って、大阪と江戸を月に三度便があった事から、そう言われ、その姿
は馬に乗って手紙や荷を運んだ、ノンビリしたものでした。その飛脚が冠った事から後
に「三度笠」なんて言葉も生まれました。後に三度では済まなくなり、「常飛脚」と
言われる様になりました。
町中では、「町飛脚」って言葉もありますが、この絵の犬助の様に、「便り屋」と言う
手紙を届ける商売がありました。鋏箱に通した棒の先に風鈴をつけて、別名「チリンチ
リンの便り屋」とも言われましたこのチリンチリンの音に、胸躍らせて、恋文を託し
た人も少なくなかったでしょうね。しかしこの商売、江戸も安政元年(1854年)に
始まったと言いますから、翌年黒船が来た事を考えますと、お気楽な時代には存在しな
かったんですね。でもこんな「便り屋」など必要でないほど、お店では丁稚や手代が店
の使い走りとして、町中走り回りました。

ちなみに、この絵の鹿が水を汲んでいる井戸は「水道井戸」で、玉川から引いた水を
江戸町地下に埋めた水道管(石樋、木樋、竹樋など)を経由して運ばれた水です。
地下水を掘った井戸は、「深井戸」とか「堀抜井戸」または、「堀切井戸」
と言いました。

●豆知識
茶屋にも「芝居茶屋」「水茶屋」「料理茶屋」「引手茶屋」「相撲茶屋」などなど
ある様に、飛脚にも「三度飛脚」「継飛脚」「町飛脚」「飛脚屋」と様々な名前が
ありました。早馬を除いて、一番早いのが、幕府の公文書を運ぶ「継飛脚」で
した。10キロづつを駅伝マラソンの様に継いで行き、江戸大阪間を約65時間
で行ったと言います。




象吉は向かいの楓師匠にすっかり惚れてしまいました。
便り屋の犬助はまだその事を何も知りません」


                                                 Text&Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 07:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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水の都

 水路の町江戸

Karakuricover3.jpg
絵本「カラクリ江戸あんない」表紙絵より

| ● 江戸のお話色々 | 18:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お稲荷様

「伊勢屋と稲荷と犬の糞」

江戸の町に多い物の三つをもじって「伊勢屋と稲荷と犬の糞」と言う言葉がある。
●伊勢屋 江戸時代初期に伊勢出身の優秀な商人が大勢江戸入りしました。
そして、暖簾分けを繰り返し、それが200年以上続き「伊勢」の屋号の店が
やたらと増えた為です。
中には悪い旦那(社長)もいて、暖簾代(退職金)をケチって、
独立寸前の番頭にわざと金を使いこませ、けしからんやつとして、
追い出したりしたそうです。例えば、真面目で堅物な番頭に女遊びを覚えさせる
とかね‥‥‥‥。
●稲荷 元々五穀豊穣の農業の神様だった稲荷様を家内安全や、
商売繁盛、屋敷神等として進化させて、あちこちに勝手に作った為です。
今でも、こんな所にお稲荷様が‥‥?と驚かれた人も多いはず。
何故農業の神だったかと言うと、米やカイコを荒すネズミを寄せ付けないため
狐の尿の匂いを付けた小石を家や倉庫に置いたのが始まりです。
ちなみに、オオカミの尿も同じで、猪や猿の害を防いでくるので
それが「犬神信仰」となりました。
江戸時代各地でオオカミに餌を与える習慣があったそうです。
●犬の糞 人間の糞尿、馬や牛の糞はみな肥料になりましたが、
犬のそれは肥料価値がなく、だれも拾わなかった為です。
ちなみに、江戸の人は使い捨てられた、草鞋まで集めて、肥料にしていました。
(犬の糞は湯屋の燃料として、拾われる場合はあります)

●豆知識
狐と油揚の関係は、稲荷のほこらに狐の好物の油揚を置いておくと、
そこに来た雄の狐が縄張りを示すため、必ず尿をするからです。


※深川江戸資料館 Photo by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 11:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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灰で大金持ちになった男

江戸の長屋の竃です。(大阪は三口が多い)
使おうと思えば使えるほど、忠実に再現した物です。
毎日がキャンプみたいな生活ですね。
ヒビが入れば、竃塗りのリサイクル職人を呼べばいいのです。
今こんな生活、東京では出来ないけど、
どこか田舎で竃付きの家に住んでみたいですね!
土間から上がった所に囲炉裏があれば最高かな?
煙は茅葺き屋根が吸い取ってくれます。
竃にたまった灰は、灰を買い取ってくれるこれまたリサイクル業者がいました。
灰は酒作り、藍染め、和紙、焼物、肥料などなど用途多数ですからね!
江戸時代初期、京都でこの灰で大金持ちになった人がいました。
灰屋の屋号まで持っていたそうな。(灰屋紹由)
息子の紹益は井原西鶴の「好色一代男」のモデルになったそうです。
竃の灰で大儲けなんて、今ではとても考えられない事ですね。
使用済核燃料を再利用しようとして大失敗した、大馬鹿な連中に比べたら、
木を燃やした灰を使う事なんか、可愛いものですね!

●豆知識
酒作りに灰は欠かせなかったので、江戸の酒問屋町だった、新川河岸には
灰を扱う業者もいたとの事です。
竃の実物を見たい方は深川江戸資料館までどうぞ!

nagayakamado2.jpg

●船宿の立派な竃、周囲で湯が沸かせる!
nagayakamado3.jpg

●ここから、煙を外に出す。無双と言われる引き違い窓からも煙を出した。
nagayakamado4.jpg

●障子の上の格子が無双窓、横にずらして閉めたり開けたりして、煙を逃がす。
nagayakamado5.jpg 

Photo by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 10:16 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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鷹狩り

 丹頂鶴も舞い降りた江戸郊外


日暮里周辺にこんな景色があったなんて、江戸と東京は経度と緯度が同じだけで、
まったく別の場所と思った方がいいかもしれませんね。
この辺りは江戸時代、将軍様の鷹狩りの場として一般人の猟は厳しく
禁じられていました。自然とツルやトキやコウノトリなどが保護されて
いたわけす。特にツルは鷹狩りの最も重要な獲物だったそうです。
野鳥に神経質な役人のため、迷惑したのはこの辺りの百姓でした。

「おい、三郎兵衛どうしただ、浮かねェ顔してよ」

「どうもこうも、ねェだよ。コウノトリが家の屋根に巣作っちまってよ
鳥見に家も畑も出入り禁止にされちまったよ」
「そいつあ、気の毒なこったなー‥‥‥」
‥‥‥とこんな会話も当然あったでしょうね。

豆知識
「鳥見」とは将軍様の鷹狩り場の野鳥を監視する役人の事。
明治になると、村田銃の普及などもあり、
鳥見の監視ががなくなると、ツルなどは姿を消した。

 Illustration by Daisuke Ota  絵本「カラクリ江戸あんない」より

| ● 江戸のお話色々 | 15:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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華屋与兵衛

江戸の食文化 1

この絵のにぎり寿司の始まりは、和食ファミレスの名前にもなっている
両国の「華屋与兵衛」が考案しました。(1820年頃)
当初は生そのままと言うより、醤油付けなど味付けしたネタをのせていた様だ。

同じ屋台売りをしていた、鰻の蒲焼きは当初「筏焼き」の言い方もあったとの事。
開いて串を何本か刺した形が筏(いかだ)のようだからだそうだ。
そう言えば、見た目は水に浮きそうですね、、?
それが何故「蒲焼き」と言う様になってしまったかと言うと、
開いて串を刺してた前は、ぶつ切りにした鰻を串さしにして焼いていました。
その形が蒲の穂に似ていたので、名前だけ「蒲」が残ったと言う訳だ。
「筏焼き」が定着していたら、それはそれで、面白い名前だと思うんですがね。
「筏焼きの松お願いね!」なんて、言えたのにね!
ちなみに「うな丼」の始まりは、炊きたてのご飯の間に鰻を入れて
冷やさない様にしたのが始まりだそうです。
看板は「元祖鰻めし」

●豆知識
江戸時代の屋台は車は付いてなく、据え置きでした。
天ぷら・寿司・鰻・しるこ・だんご、等等、様々な屋台売りがありました。
そばの担ぎ屋台は調理器具やお湯など、相当に重かったので、
実際は床店の様に移動はしなかったかもしれません。
担いで売り歩く、八百屋や魚屋の様にはいかったでしょう。



Illustration by Daisuke Ota          絵本 「カラクリ江戸あんない」P26より

| ● 江戸のお話色々 | 22:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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船宿

船遊山

「船宿」と言っても、宿泊目的の旅館とは違います
荷物の斡旋(荷船宿)と、客を乗せる観光業(遊山船宿)がありました。
お足(お金)がかかるので、殆どは金持ち常連客相手の仕事です
屋根船なんか使うと、長屋の家賃一ヶ月程(三百文から五百文)がかかり
酒手も百文位必要ですから、一般庶民にはおいそれと手が出ない代物でした。
船での遊びは、花見、花火見学、紅葉狩り、雪見、と様々です。
その他にも大店の旦那が芸子と船宿で落ち合って、船の上でお楽しみなんて
使い方は、当たり前の事です。
吉原が不便な場所に移転されてからは、この船が大いに利用されました。
(1657年に人形町から浅草裏田んぼへ移転)
※落語の「船徳」と「夢金」を聞くと、船宿の雰囲気が味わえます。

●豆知識
船宿でよく使われる「猪牙船」(ちょきぶね)と言う
細身の小さな船がありますが、この名前の由来はと言いますと
〝猪の牙の様に先が曲がって尖っていた〟とか〝速い事を「ちょき」と言った〟
などの説があります。
船大工の〝長吉〟が作ったとの説も‥‥‥?

女将  「ご隠居さま、今日はいいお日和で、良かったじゃないですか」
ご隠居 「いつもすまないね、今日は手代の佐吉に江戸湊をたっぷり
     見せてやろうと思ってな」
女将  「そうですか、それは奉公者思いで、結構な事で‥‥
     じゃ徳次郎や、宜しく頼んだよ」
徳二郎 「へい、かしこまりました。ご隠居に、佐吉さん、
     今から船出しやすから、しっかりとつかまってくだせいよっ」
女将  「行ってらっしゃいまし」

船宿での物語はいくらでも考えられそうですね。
裕福な川越の米問屋のご隠居は、丁稚の頃から可愛がっている手代の佐吉を
連れて、船を雇って江戸の深川まで来ます。(新河岸川〜隅田川)
荷物はあらかじめ別便で江戸の宿に預けてあり、江戸湊をぐるりと見学します。
永代橋や弁財船や佃島を見学した後、鰹の初荷で賑わっている
魚河岸を見る為、日本橋の直ぐ近くで船を降ります。
その後、江戸に何泊かしながら、両国や浅草等を見学して、陸路川越まで帰ります
川越から出た事がない佐吉にとっては、人生で初めての大きな息抜きです。
田舎の手代さんにとっては、海外旅行の様な経験だったでしょうかね‥‥‥?


Illustration by Daisuke Ota 絵本「カラクリ江戸あんない」P17より

| ● 江戸のお話色々 | 14:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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窒素・リン酸・カリウム

お金になった糞尿


ぼくが育った練馬は子供の頃、畑が沢山ありました。家の直ぐ近くに肥溜め
なんかもあって、肥桶担いだ人が学校の脇の道を行き来もしてました。
江戸の町の糞尿は殆ど全て、近隣のお百姓さんが買い取っていました。
長屋の大家と契約して、お金や野菜と交換していました。
これはみんな大家の収入になります。他に馬や牛の糞も拾われました。
江戸には下肥問屋なるものまで出現したそうですから、その需要度が想像出来ます。
  ※集めた下肥は肥溜で水で薄めてから暫く寝かせます

        ーーー落語の小話ーーー
殿様「これこれ、知恵之助や。この青菜は実に美味しいが、なぜじゃ?」
家来「ははー、それは下肥を使っているからでございましょう」
殿様「そうか、ではもう少し、これにかけてまいれ」
家来「‥‥‥」

●豆知識
窒素は葉肥、リン酸は実肥、カリウムは根肥と言われています。
糞尿には窒素とリン酸が含まれ、カリウムは木灰です。
灰は長屋の竃などからも集められました。
大根などの根菜は畑に灰が使用されたと思われます。
Illustration by Daisuke Ota

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ウイリアムアダムス

星がよく見えた江戸の町

マザーグースの童謡集がイギリスで出版されたのは日本の江戸時代です。
もしその頃イギリスと日本に交流があったら、こんな本屋があったかも?
しれませんね‥‥。進んだ考えを持っていた、吉宗だったらと思いますが、
悪い言い方をすれば、かれとても鎖国状態の国の同じ穴のムジナですから、
無理でしょうね。でもです、この方隠居した後、天体を観測する、
天文屋敷なるものを作ったんですよ。
そう言えば、江戸の夜は電気がないから真っ暗だし、空気が奇麗だったから
南アルプスの山の上程、星が見えたんでしょうかねー?あー羨ましい!

●豆知識
江戸に「按針町」の名を残した、三浦按針はイギリス人です。
家康に可愛がられ、三浦半島に領地まで拝領されました。(相模国三浦郡逸見)
今の横須賀辺りです。
〝按針〟は船の羅針盤を意味します。
三浦按針(ウイリアムアダムス)は航海者だったからです。
日本に漂流してきたのは、1600年4月、なんと関ヶ原合戦の五ヶ月前の事。
アダムスが持って来た大砲が、関ヶ原で使われたとか‥‥‥?
※この人物に興味ある方は、「航海者」白石一郎 文春文庫を読んでみて
ください。気持ちが大きくなります。
Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 10:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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