江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

図書館で講演会3

江戸の始まり

東京が今世界1の大都市になっているのは、徳川家康が1590年8月に北条氏に代わ
って江戸の地に入ったのがそもそもの始まりです。とは言ってもその当時家康は三河の
大名、豊臣秀吉が天下を取った事で、僻地の関東に言わば飛ばされた訳です。この湿地
帯を埋め立て10かけ苦労してなんとか町を作りました。江戸に入って10年目の160
0年の関ヶ原の戦いで天下を取った事で、その工事が天下普請となり、各地の大名がお
金と人をつぎ込んで、一気に町作りが進みました。この地図の様に日比谷の辺も埋め立
て前は入り江で、浅瀬にうめる漁や海苔の養殖用の細い棒を「ひび」と言った事から「
ひびや」の地名が生まれました。1603年に幕府を開きますが、大阪にはまだ豊臣秀
頼が健在でした。そこで、盤石な徳川政権にするため1615年の「大阪夏の陣」で戦
国時代最大規模の戦をお越し、豊臣氏を滅亡させ、徳川幕府による長い江戸時代の始ま
りとなりました。安定した政権が出来、やる事は全てやり終え安心したのか、翌年に家
康の波瀾万丈の人生は終わります。天下を取った勢いで、家康、秀忠、家光と江戸城に
は三つの天守閣が次々と作られますが、1657年の明暦の大火で焼失した後、江戸城
には二度と天守閣は作られませんでした。理由は財政上の問題と、天守閣は権威の象徴
なので、必要がないとの事からでした。(テレレビドラマで、徳川吉宗が天守をバック
に立っている様子は全くの嘘という事になります)

※地図は1590年家康が入ったばかりの江戸で、上野の辺は湿地帯で、深川は三角洲の
なにもない状態でした。下は1643年家光時代の江戸。
edo1590.jpg

edo1643.jpg

スポンサーサイト

| ●講演会 | 15:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://edobunka.blog.fc2.com/tb.php/74-004e3eab

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。