江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

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図書館で講演会2

木版画の歴史
江戸と言えば「浮世絵」とか「錦絵」という言葉が浮かびますが、最初から
色摺りの版画があった訳ではありません。菱川師宣の墨摺り絵からはじまり
手彩色(丹絵とか紅絵)や型紙による彩色(合羽摺り)、一色摺(紅摺絵)
などを経て、浮世絵師鈴木春信と出版プロディユーサーの大久保巨川によっ
て極彩色の錦絵が一気に世に広まりました。その後、大物版元、蔦屋十三郎
によって、歌麿や北斎や写楽などが世に出ました。広重は幕末のもっと後の
時代の絵師です(残念な事に江戸で流行したコレラにより亡くなってしまい
ました。1858年)

草紙の歴史new

 
遊郭吉原の語源

江戸時代の落語にも多く登場する遊郭「吉原」は、別名「中」(なか)とか
「北国」(ほっこく)とも言いました。浅草の裏田んぼに移転される前は、
江戸のど真ん中にあり昼だけの営業でした。1657年明暦の大火の時に移
転し、夜の営業も許るされました。江戸の土地は家康が入った1590年頃
は葦(あし)の生い茂る寒村(漁村)でした。葦(あし)は悪しに繋がると
のことから、葦(よし)「良し」と言うようになり、それに「吉」の目出た
い字をあてて葦原→吉原というようになりました。
葦の話し

■風水
江戸の町は京都に習って町作りをしました。風水による東西南北に四つの
神を配そうとしましたが、江戸には大きな問題がありました。北側に山の
神「玄武」を配さなければならなかったのですが、西側には神と崇める富
士山があったのです。そこで、四つの神の並びを90度回してしまいまし
た。そして北側には、京都の比叡山を名前だけ持ってきて、上野の寛永寺
を東の比叡山=「東叡山寛永寺」としました。現代の東京で、本来なら西
側に来るはずの虎ノ門が皇居の南側にあるのがその証拠です。

風水と四神

■落語「百川」
古典落語に「百川」というお話があります。日本橋浮世小路にあった料理
茶屋で実際にあった話しを元に作られた話だそうですが、その話しに、こ
の四つの神を使った祭りに使う旗が出てきます。「四神旗」又は先に剣が
ついている事から「四神剣」ともいい、祭りの重要な象徴として使われま
した。又、相撲の土俵の四隅にある房の色もこの四神があしらわれていま
す。
落語百川

鎖国の言葉
江戸時代は鎖国政策をとったといいますが、実際にこの言葉が出てきたの
は、江戸もずっと後になった1801年の事です。造語の天才と言われた
蘭学者志築忠雄が、日本を旅したドイツ人、エンゲルベルト・ケンペルの
日本の事を書いた「日本誌」を訳した時に作った言葉です。彼はその他に
も、「頭痛」「風邪」「加速」「衛星」などの言葉も造ってますから、こ
れらと関連して考えると「鎖国」がどういった言葉だったかが垣間みえる
かと思います。江戸の一般庶民は国が鎖国している認識はなかったかもし
れません。

鎖国論


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