江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

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吉祥寺村

今の吉祥寺に吉祥寺はない

「おうっ、馬之助じゃねェかい」
「おやっ、たぬ吉つァん、羽織なんかひっかけちゃって、どこへお出かけですかい」
「わかってるくせに、今日は南(品川遊郭の俗称)に足を延ばそうかと思ってな」
「品川ですかい。そいつァ、結構なこって。羨ましい限りですなー」
 ‥‥‥


たぬ吉と、立ち話をしている馬之助が背負っているのが
連尺と言う背負子です。この背負い人足が多く住んでいた連尺町の住民が
1657年の明暦の大火で焼け出され、今の東京都三鷹市辺りに移り住みました。
今の住所「連雀」の「雀」は「尺」の当て字です。
近所にあるお洒落な町の吉祥寺も元は江戸にあった寺の名前で
やはり同じ火事で焼け出された吉祥寺門前町の人々が今の三鷹に移り住み、
吉祥寺村を作ったそうです。
だから、今の吉祥寺のどこを探しても吉祥寺と言う名の寺はありません
文京区本駒込にあります。
ついでにお話すると、人形町にあった吉原が浅草裏田んぼに移ったのも
この火事の後です。吉原が不便な所に移った事で、船や籠の交通に
活気が出来たのも面白い話です。

江戸湊の見える船宿の二階で、青い海と弁財船の白い帆を眺めながら
ちょいと一杯引っ掛けた後‥ほろ酔い気分で猪牙船に乗って‥
夢心地で波にゆられて‥‥遊びに行ったんでしょうかね‥‥。

renjaku.jpg
                    ©Text&Illustration by Daisuke Ota
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