江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

旅その4

        「鍋釜夫婦二人旅」

釜代「おまえさん、頭のご飯が炊けたから、中食とするかい?」
鍋助「そうだな、おれの頭の煮付けも丁度いい頃合いだ」


明治になって蒸気機関車などの乗り物が発達する以前の旅はとにかく歩いた。
徳川幕府は庶民が国内を早く動き回り、国の改革が進むのが怖かったのかも?
現に、馬車などの交通を進言した者がいたそうだが、却下されています。
なにはともあれ、歩く人しかいないら道もそんなに荒れなかったんです。
早馬などは武士の特権だし、街道の馬子が扱う馬は歩きと同じ速度で早くはなかったですしね。
その分、東海道などの大きな幹線道路には宿場がほぼ10キロ毎にあり、歩く人のことを考えて整備されていましたし、その間にも「間宿(あいのしゅく)」という休憩所もありました。
「旅その2」でも書きましたが、一里の長さは地方によってさまざまでした。例えば山道や平地では同じ一里でも距離が違っていて(山道は短め、平地は長め)歩く人が疲れない様に考えられていたんですね。一里が3.927㌔と決められたのは明治24年になってからです。

nabekamafutaritabi
スポンサーサイト

| ● 江戸のお話色々 | 20:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://edobunka.blog.fc2.com/tb.php/68-f044fec0

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。