江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

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悪人

弥次さん、喜多さんの話

今日は5月5日。ゴールデンウィークとやらの土曜日で二日続いた雨が上がり
朝から快晴でした。
江戸時代‥‥秩父への抜け道だった仁田山峠を自転車で登る。
前日の大雨で空気が洗われ、頂上からは東京のビル群とスカイツリーが見える。
晴天の祭日にも関わらず、峠道では殆ど人や車に会わない。
とにかく人ごみは嫌いなのでここは天国だっ!
舗装路や目に入る送電線・ガードレール等を除けば、昔ここを籠や草鞋ばきで
越えた頃の景色と、あまり変らないのではと思ってしまった。
nitayamatouge1.jpg

ここで、江戸の旅の話を少し‥‥
みなさんよくご存知の、十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」がありますね。
そこに出てる「弥次さん、喜多さん」ですが、皆さんお持ちのイメージは
「江戸で暮らしていた仲のいい友達同士が気楽な旅に出た‥‥」
と言ったところじゃないでしょうか?
ぼくもいままでそう思っていました。ところがです、原文を読んでビックリ!
実は、弥次さんと喜多さんは想像も出来ない位意外な関係だったんです。
弥次郎平衛は今の静岡県府中の出身で、親の代からかなりの商人だったようですが
遊郭(当時府中には公認の遊郭があった)で酒と女にはまり、
おまけに旅役者の若い男と通じ‥‥この若い男(少年)が後の喜多八だったんです。
喜多八は華水多羅四郎(はなみずたらしろう)という旅役者のお抱え串童(かげま)
で「鼻之助」と言う名でした。
(ふざけた名前の付け方が、いかにも一九らしいですね)
こうして弥次郎は身代を潰し、逃げる様に鼻之助と江戸に逃げ、鼻之助を元服させて
喜多八と名乗らせました。
言ってみれば、男同士の駆け落ちですかな‥‥?
それからこの二人、江戸でもどうしよもない生活を送るのです‥‥‥‥続く
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| ● 江戸のお話色々 | 15:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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