江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

華屋与兵衛

江戸の食文化 1

この絵のにぎり寿司の始まりは、和食ファミレスの名前にもなっている
両国の「華屋与兵衛」が考案しました。(1820年頃)
当初は生そのままと言うより、醤油付けなど味付けしたネタをのせていた様だ。

同じ屋台売りをしていた、鰻の蒲焼きは当初「筏焼き」の言い方もあったとの事。
開いて串を何本か刺した形が筏(いかだ)のようだからだそうだ。
そう言えば、見た目は水に浮きそうですね、、?
それが何故「蒲焼き」と言う様になってしまったかと言うと、
開いて串を刺してた前は、ぶつ切りにした鰻を串さしにして焼いていました。
その形が蒲の穂に似ていたので、名前だけ「蒲」が残ったと言う訳だ。
「筏焼き」が定着していたら、それはそれで、面白い名前だと思うんですがね。
「筏焼きの松お願いね!」なんて、言えたのにね!
ちなみに「うな丼」の始まりは、炊きたてのご飯の間に鰻を入れて
冷やさない様にしたのが始まりだそうです。
看板は「元祖鰻めし」

●豆知識
江戸時代の屋台は車は付いてなく、据え置きでした。
天ぷら・寿司・鰻・しるこ・だんご、等等、様々な屋台売りがありました。
そばの担ぎ屋台は調理器具やお湯など、相当に重かったので、
実際は床店の様に移動はしなかったかもしれません。
担いで売り歩く、八百屋や魚屋の様にはいかったでしょう。



Illustration by Daisuke Ota          絵本 「カラクリ江戸あんない」P26より

スポンサーサイト

| ● 江戸のお話色々 | 22:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://edobunka.blog.fc2.com/tb.php/48-10d6a2ef

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。