江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

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日本橋

 魚河岸の起こり

江戸では「にほんばし」大阪では「にっぽんばし」と言いました。
江戸時代と言えばこの単語が直ぐ頭に浮かびますが
その頃は「魚河岸」も有名でした。
大正12年(1923)の関東大震災で今の築地に移されましたが、
それまでは江戸の初めから、明治大正とずっとここにありました。
今はスターバックスコーヒーなどもあり、まったく違った風景になっています。
魚河岸の反対側には船宿も沢山並んでいましたから
そこの二階からの眺めはさぞ面白かったと思います。
仲買人が発する胴間声や、棒手振り商人達の威勢のいいやり取りが
聞こえた事でしょう。
橋寄りの宿からは、日本橋を行き来する様々な人達の様子も
見えた事でしょう。
ああ‥やっぱり江戸時代にワープしたいっ!

●豆知識
江戸初期、佃島の漁民が幕府に納めた残りの魚を売ったのが始まりですが、
その「佃」は摂津国(大阪)の佃村の漁師を家康が連れて来たのが名の起りです。
戦国時代にその佃村に恩があった家康が、その事を忘れず
江戸湾の浅瀬を埋め立て、漁の特権を与え、住まわせたのが佃島です。
この事は又折に触れて話します。


karakurishigotofuukei.jpg

  ●上 絵本「カラクリ江戸あんない」P22-23より
  ●下 同絵本P20 佃島の絵  版画制作風景
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| ● 江戸のお話色々 | 12:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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