江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

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ドイツ人医師ケンペル

鎖国」と言う言葉の誤解

松尾龍之介さんの「長崎を識らずして江戸を語るなかれ」と言う本に
志筑忠雄の事が詳しく書かれていました。それによると‥‥
「鎖国」と言う言葉は造語の天才と言われた、蘭学者の志筑忠雄(中野忠次郎)
が1801年に考えた言葉だそうです。
1801年と言えば、明治維新の66年前です。
志筑忠雄は江戸前期に来日したドイツ人ケンペルが書いた日本の情報書「日本誌」
を訳しました。その中の〝日本の孤立政策〟を肯定した部分に共鳴し、
翻訳時に〝鎖国〟という言葉を作ったとの事です。
ケンペルは人種や宗教や領土問題で、戦争ばかりしているヨーロッパに
比べ、平和な日本をとても評価しました。
その事に同感した志筑が「鎖国論」をまとめた‥‥とありました。

ですから徳川幕府は最初から、この〝鎖国〟と言う言葉を使って
政策を打ち出した訳ではないのです。
家康はむしろ海外貿易に積極的な考えでしたが、残念ながら〝大阪夏の陣〟
の翌年に亡くなってしまいました。(1616年)
家康がもう少し長生きしていたら、情勢は変っていたかもしれませんね。
三代目の家光の時代から、一気に国を閉ざす考えが強まったと思います。
戦国時代の修羅場を幾つも乗り切ってきた将軍と
おぼっちゃま将軍との違いでしょうか??
歴史に〝たられば〟を言ったらきりがないですが、
その辺りの歴史の綾が、現代にもおおいに関係しているかもしれませんね。
少なくても長崎辺りでは「鎖国」と言う言葉からはかけ離れた、
もっと自由な通商関係があったようです。
江戸の一般庶民にしても、国を鎖している感覚は持っていなかった
と思います。

●豆知識
1853年浦賀に来たペリーは、実は太平洋を横断して来たのではないのです。
アメリカ東海岸からアフリカを南下して、インド洋を経て日本に来ています。
蒸気船による太平洋の定期航路が出来たのは、1867年明治維新と同じ年で
皮肉にも江戸時代の終わりと丁度重なっています。
(参:帆船による北太平洋航路は1565年に発見)
※ついでに、志筑忠雄(本名中野忠次郎)の父はあの有名な大店〝越後屋〟
の長崎出張所を開いた(1726年)中野用介と言う人物だそうです。


nagasaki.jpg
Text&Illustration by Daisuke Ota
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| ● 江戸のお話色々 | 20:52 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

鎖国

ふ〜ん、なるほど。

| 阿修羅 | 2012/06/19 05:39 | URL |















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