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江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

2012年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年02月

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旅その3

歩いた歌舞伎役者

18代中村勘三郎さんが昨年亡くなられましたが、江戸時代の12代中村勘三郎の義弟
に中村仲蔵と言う役者がいました。この方とにかく食べる事が好きで自伝「手前味噌」
の中で、旅巡業での各地の食べ物について書いています。この絵の象吉の様に食べる事
に興味津々だったんでしょうかね?
現代の歌舞伎役者は、地方へ行く場合は新幹線か飛行機、又は車で移動しますが、江戸
時代の役者はひたすら歩いた訳です。駕篭や馬も使えますが、それにはお足がかかるし
殆どは歩きでした。役者は出演料を持ち歩く事があったので、雲助や護摩の灰に狙われ
大変だった様です。ある意味とても逞しいですね!
江戸三座(中村座・市村座・森田座)の役者は、三都以外の旅興行を禁止されていまし
たが、例えば、火事で芝居小屋が焼けて仕事が出来ない様な場合は特別でした。
中村仲蔵もあちこちの地方巡業に出ています。歩いてね、、、。
●豆知識
絵に描いてある、左の「関札」は、街道沿いによく立ててあり、宿に泊まる大名の名が
掲示してありました。右の「棒示杭」には「自是より何何宿」などと書いてありました
この絵では、ぼくは遊び心で石標にして、「左鎌倉道」と描いてみました。




「象吉と犬助の二頭は、江戸での大仕事を済ませ、いざ、伊勢神宮へ旅に出た
のであります。象吉はと言いますと、街道沿いの名物を食べるのが楽しみで仕方ないの
であります。犬助は見かけによらず、真面目な振る舞いばかりなり」

                                             Text & Illustration by Daisuke Ota

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| ● 江戸のお話色々 | 11:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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飛脚

チリンチリンの便り屋

江戸時代の郵便屋と言うと「飛脚」の言葉が浮かぶと思いますが、本来の飛脚は
「三度飛脚」と言って、大阪と江戸を月に三度便があった事から、そう言われ、その姿
は馬に乗って手紙や荷を運んだ、ノンビリしたものでした。その飛脚が冠った事から後
に「三度笠」なんて言葉も生まれました。後に三度では済まなくなり、「常飛脚」と
言われる様になりました。
町中では、「町飛脚」って言葉もありますが、この絵の犬助の様に、「便り屋」と言う
手紙を届ける商売がありました。鋏箱に通した棒の先に風鈴をつけて、別名「チリンチ
リンの便り屋」とも言われましたこのチリンチリンの音に、胸躍らせて、恋文を託し
た人も少なくなかったでしょうね。しかしこの商売、江戸も安政元年(1854年)に
始まったと言いますから、翌年黒船が来た事を考えますと、お気楽な時代には存在しな
かったんですね。でもこんな「便り屋」など必要でないほど、お店では丁稚や手代が店
の使い走りとして、町中走り回りました。

ちなみに、この絵の鹿が水を汲んでいる井戸は「水道井戸」で、玉川から引いた水を
江戸町地下に埋めた水道管(石樋、木樋、竹樋など)を経由して運ばれた水です。
地下水を掘った井戸は、「深井戸」とか「堀抜井戸」または、「堀切井戸」
と言いました。

●豆知識
茶屋にも「芝居茶屋」「水茶屋」「料理茶屋」「引手茶屋」「相撲茶屋」などなど
ある様に、飛脚にも「三度飛脚」「継飛脚」「町飛脚」「飛脚屋」と様々な名前が
ありました。早馬を除いて、一番早いのが、幕府の公文書を運ぶ「継飛脚」で
した。10キロづつを駅伝マラソンの様に継いで行き、江戸大阪間を約65時間
で行ったと言います。




象吉は向かいの楓師匠にすっかり惚れてしまいました。
便り屋の犬助はまだその事を何も知りません」


                                                 Text&Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 07:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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