江戸はえェどう    HOME

江戸文化を独自の視点で絵と共に取り上げています。

2012年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年06月

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旅その2

 花より団子

兎吉「おそいじゃないですかい、ウサシゲさん。こちっとら、一服どころか、
   四服も五服もやって待ってたんですぜ」

兎重「いやーすまないねェ、ウサキッつァさん。
   いえね、ここからのお山もいい顔なさってるけど、
   松の木越しのお姿がなんともいえなくてね、
   絵筆をちょいと握らせてもらいました」

兎吉「そうゆうことですかい、おいらは花より団子ってとこですけどね‥」


江戸時代と言えば、なんといっても旅ですね。
老若男女、はたまた子供まで、皆さんよく旅に出たそうです。
それはあの神棚に祀ってある「天照大神様」(大神宮様とも言う)を参拝する為です。
いわゆる良く耳にする「お伊勢参り」ですね。
落語「富久」にもこの神様が最後の面白い落ちに出てきます。
勿論それだけが旅の目的ではなく、商人や武士などは仕事での移動がありますが
庶民の殆どは、それが名目の遊山旅でした。
この兎吉と兎重の二人は、浮世絵の取材旅の様です。
兎吉は絵師の荷物持ちといったところでしょうか‥‥。

●豆知識
一里を3.927キロメートル(約4キロ)と決めたのは明治24年になってからで
江戸時代の一里は例えば箱根越えなどの山道は一里の距離を短く表示し
平坦な楽な道は長くして旅人の距離感覚を楽にしてあげてました。
だから地方によって様々な一里があったと言う事です。
江戸の人はアバウトだったとも言えますが、、、。



     ©Illustratio by Daisuke Ota
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| ● 江戸のお話色々 | 21:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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市松模様

江戸の町はいつも歩行者天国


現代の道路は殆どが車の為のもので、人間は端っこを遠慮っぽく歩くしかありせんが
江戸の通りはいつも歩行者天国でした。
こんな茶屋の屋台がドデンと通りに置かれていもよかったのです。
だから通りの真ん中で立ち話だって、全く問題ありません。
たまに、鰹を担いだ威勢のいい棒手振が「どいた!どいた!どいた!」なんて
大声出して、通り過ぎる事がある位でしょうか?
こんな、タコや象がいても不自然ではない?とても自由な雰囲気があったのが
江戸の通りだったと思います。

●「象吉ッつァん、どこ行くんだい?」
 「おうッ、千太か。おめェこそ手習いの時間じゃねェのかい?」
●「今日は、師匠が大川に涼みにいちゃってなっ、まったく遊び好きな師匠で
 困ったもんだよ」
「おめェにそう言われるようじゃ、おしめェだな」
●「でもな‥‥おいらあの師匠が好きなんだ、だって話がとっても面白れえんだぜ」
 「まッ、頭の固ェのに習うより、のちのちの勉強にはなるわな」

●豆知識
屋台の屋根の市松模様(市松格子)は、歌舞伎役者の名前からきてます。
人気役者だった初代佐野川市松が白と紺の四角い模様のデザインの袴をはき
人気をはくし、後にこの柄が庶民の着物の柄として流行りました。
稲荷寿司の屋台や、寿司、蕎、天ぷら、この絵の茶屋などの屋根にも
このデザインが多く使われました。


       ©Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 19:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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棒手振

買い物便利な江戸の長屋

「熊さん、今日はなにかいい魚あるかい?」
「へいっ、〝めいじ〟のいいのがありますぜ」
「じゃ、そいつを刺身にさばいてくれるかい」
「がってんしょうちのすけっ!」

「おや、おたねさんとこは豪勢にさしみだよ。羨ましいねっ!」

                  ©Illustration by Daisuke Ota


僕が子供の頃は行商のおばさんが時々家まで野菜などを売りに来ていました。
今では殆ど見かけない光景ですが、江戸の町ではそれが当たり前でした。
長屋のおかみさんは、買い物に出なくても、こんな棒手振りの行商人が
次から次とドブ板を踏みならして食材等を運んでくれました。
米、野菜、豆腐、納豆、竃の薪などなど‥‥何んでもです。
なんて、便利だったんでしょう!おまけに竃から出た灰まで買い取ってくれます。
最近では〝買い物難民〟とか〝フードデザート〟なんて怖い言葉がありますが
江戸の町ではそんな心配は全くなかったんですよ。

●豆知識
「刺身」って、魚の身を切るのになんで〝刺す〟なんだろう思った事
ありませんか?これは、「忌言葉」と言って、例えば〝終わる〟と言う言葉を嫌って
「お開き」としたのと一緒で〝切る〟は武士の切腹に繋がると言うので
〝切る〟を〝刺す〟に変えて「刺身」としました。
縁起をかつぐ江戸の人はこんな理由でプラスになる言葉を沢山作り、今ではそれが普通に使われています。
関連記事→「駄洒落を楽しんだ江戸の人」

| ● 江戸のお話色々 | 10:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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牛車

車輪に神経質だった江戸幕府

江戸の町では車の付いたものは牛車と大八車しか許されてなく
その大八車も牛飼いと馬子の仕事を保護するため、数を制限されていました。
牛車は京では古くから使われていて、江戸では増上寺普請のため
京から牛持人足がよばれ、今の高輪の近くに住まわせ
「牛町」とか「車町」と言う名の町がありました。
人を乗せる馬車も技術的には可能で、申請した者がいたそうですが
幕府は許しませんでした。
とにかく人が早く移動する事を恐れていたようです。
つまり、世の中が変ること、進歩、外様大名の反乱などなど‥‥‥
まあ‥でも、東海道に馬車が走らなかった事で、人が歩くには滑らかな
いい街道が長い時代維持されたんでしょうね。
gyuusha.jpg 
                      ©Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 10:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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貸本屋

出版大国江戸

江戸時代の識字率はその当時の世界と比べてとても高かったそうです。
江戸府内だけに限れば70パーセント、更に日本橋を中心に限れば
子供のそれはほぼ100パーセント近かったと言います。
同じ時代のロンドンの子供が10パーセント程度だといいますから
誇るべき数字ですね。
これだけ読み書きが好きでしたから当然本も売れる訳で
作る方も頑張った訳です。
印刷は字も絵も手彫りの木版画でしたがその技術は神業でした。
実際版画を彫る自分はその凄さがより実感できます。
今の出版社に当たる「版元」がこの版画職人を沢山抱えていました。
(絵師・彫師・摺師)
その職人も頭と体の柔らかい10代はじめから仕事を覚えますから
現代の職人さんは到底勝てない訳です。
とは言っても高速輪転機なんてない時代ですから、部数はそれ程多く刷れません
そこで、こんな貸本屋が江戸には800軒程あったといいます。
大きな風呂敷に沢山本を入れて、御得意さんを回る訳です。
貸本を読むにはページの左下を指で捲るというルールがあって
その証拠に人気の草双紙などは左下に黒くなった跡があります。
江戸時代の印刷(木版画)や本の話は尽きないので又の機会に‥…


                               ©Illustraion by Daisuke Ota

kashihonhangi.jpg


摺る前の版木です。彫刻刀は上から駒隙(こますき)・三角刀・間隙(あいすき)
板木刀・見当ノミ。左上に見えてるのが馬連です。高い物は10万円以上します。

| ● 江戸のお話色々 | 09:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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冷水売り

江戸の清涼飲料水

「番頭さん、お願いしますよ。おたくの水は特別美味しいんですよ」
「何度も言ってるだろう、もう決まったのが三人もいるんだから他あたりなっ」
「どうしてもだめですかい?じゃあ、あきらめるとするか‥‥ところで‥…
 番頭さん‥‥「中」(吉原遊郭の別称)お好きですよね?」
「そんな大きな声出しちゃ‥困るよっ‥」
「その顔は、お好きで‥‥」
「だらか、なんなんだっ?」
「いえねッ、あっしの仲間に細見書いてるのがいましてね‥‥女の子の情報が
 一杯詰まったやつですよっ‥‥良かったらとっておきの情報流しますよ?」
 「‥‥‥‥」


こんな具合にやり取りしたかどうかは知りませんが、この「冷や水売り」は
夏になると、大きなお店などが持ってる堀切井戸の地下水を買って
それに砂糖と白玉を入れて売っていたそうです。
(売り声は〝ひゃっこひ、ひゃっこひ〟)
ちなみに、「年寄りの冷や水」はここから生まれました。
夏にお年寄りが冷たい水を飲むのは良くないことを知っていて
今は冬の飲み物のイメージがある熱い「甘酒売り」は、夏の商売でした。

●豆知識
地下水まで掘り下げるのが「堀り井戸」でもっと深く掘るのが、「掘り抜き井戸」
水を多く使う湯屋や水が命の豆腐やなどは、自前の井戸を持っていたそうです。
武家屋敷も含め殆どの住民は多摩川上水や神田上水などから引いた
いわゆる「上水井戸」を多く使ってました。
よく聞く「長屋の井戸端会議」に出て来る「井戸」はこの上水井戸の事が殆どです。
江戸の町の地下には水道管が沢山張り巡らされていて、現代になっても建築現場などで
たまたま江戸時代の水道管を発見した事があったそうです。


©Illustratio by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 11:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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吉祥寺村

今の吉祥寺に吉祥寺はない

「おうっ、馬之助じゃねェかい」
「おやっ、たぬ吉つァん、羽織なんかひっかけちゃって、どこへお出かけですかい」
「わかってるくせに、今日は南(品川遊郭の俗称)に足を延ばそうかと思ってな」
「品川ですかい。そいつァ、結構なこって。羨ましい限りですなー」
 ‥‥‥


たぬ吉と、立ち話をしている馬之助が背負っているのが
連尺と言う背負子です。この背負い人足が多く住んでいた連尺町の住民が
1657年の明暦の大火で焼け出され、今の東京都三鷹市辺りに移り住みました。
今の住所「連雀」の「雀」は「尺」の当て字です。
近所にあるお洒落な町の吉祥寺も元は江戸にあった寺の名前で
やはり同じ火事で焼け出された吉祥寺門前町の人々が今の三鷹に移り住み、
吉祥寺村を作ったそうです。
だから、今の吉祥寺のどこを探しても吉祥寺と言う名の寺はありません
文京区本駒込にあります。
ついでにお話すると、人形町にあった吉原が浅草裏田んぼに移ったのも
この火事の後です。吉原が不便な所に移った事で、船や籠の交通に
活気が出来たのも面白い話です。

江戸湊の見える船宿の二階で、青い海と弁財船の白い帆を眺めながら
ちょいと一杯引っ掛けた後‥ほろ酔い気分で猪牙船に乗って‥
夢心地で波にゆられて‥‥遊びに行ったんでしょうかね‥‥。

renjaku.jpg
                    ©Text&Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 17:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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悪人

弥次さん、喜多さんの話

今日は5月5日。ゴールデンウィークとやらの土曜日で二日続いた雨が上がり
朝から快晴でした。
江戸時代‥‥秩父への抜け道だった仁田山峠を自転車で登る。
前日の大雨で空気が洗われ、頂上からは東京のビル群とスカイツリーが見える。
晴天の祭日にも関わらず、峠道では殆ど人や車に会わない。
とにかく人ごみは嫌いなのでここは天国だっ!
舗装路や目に入る送電線・ガードレール等を除けば、昔ここを籠や草鞋ばきで
越えた頃の景色と、あまり変らないのではと思ってしまった。
nitayamatouge1.jpg

ここで、江戸の旅の話を少し‥‥
みなさんよくご存知の、十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」がありますね。
そこに出てる「弥次さん、喜多さん」ですが、皆さんお持ちのイメージは
「江戸で暮らしていた仲のいい友達同士が気楽な旅に出た‥‥」
と言ったところじゃないでしょうか?
ぼくもいままでそう思っていました。ところがです、原文を読んでビックリ!
実は、弥次さんと喜多さんは想像も出来ない位意外な関係だったんです。
弥次郎平衛は今の静岡県府中の出身で、親の代からかなりの商人だったようですが
遊郭(当時府中には公認の遊郭があった)で酒と女にはまり、
おまけに旅役者の若い男と通じ‥‥この若い男(少年)が後の喜多八だったんです。
喜多八は華水多羅四郎(はなみずたらしろう)という旅役者のお抱え串童(かげま)
で「鼻之助」と言う名でした。
(ふざけた名前の付け方が、いかにも一九らしいですね)
こうして弥次郎は身代を潰し、逃げる様に鼻之助と江戸に逃げ、鼻之助を元服させて
喜多八と名乗らせました。
言ってみれば、男同士の駆け落ちですかな‥‥?
それからこの二人、江戸でもどうしよもない生活を送るのです‥‥‥‥続く

| ● 江戸のお話色々 | 15:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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江戸の上水道

「おおさむッ。冬も近くてうすら寒いってェのに、水船船頭の清吉が
風邪ひいちまったもんだから、こちっとら深川まで代わりに重てェ水運びよッ。
直ったら、たっぷりとかしをけェしてもらわねェとな‥‥
おーっ、雀が気持ち良さそうに飛んでやがら‥‥」


江戸時代、日本橋の一つ東側に、一石橋がありました。俗称「八ッ見の橋」といい
立っている橋も含めて、七つの橋が見えたそうです。
この絵の橋はその一つの銭瓶橋で、この近くにお城の中を通った水道水の余り水を
こんな感じで堀に流している所がありました。(本の都合で絵になる箇所に
移動してますが、実際は橋の向こう側の向かって左に玉川上水の出口右側に
神田上水の出口があった)
ここから、専用の「水船」に積んで、水道の完備してない川向こうの深川まで運び
落語にも出てくる「水屋」が各長屋などに水を売っていました。
ちなみに江戸の井戸は「上水道井戸」で、地下水を掘った井戸は
「堀切井戸」とか「掘抜き井戸」などといい、掘る技術が上がった江戸後期に
増えました。


カラクリ水船
        「カラクリ江戸あんない」P-37より 福音館書店



| ● 江戸のお話色々 | 15:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅その1

歩いて、歩いて、ひたすら歩いて‥‥

旅をするにしても普段の生活でも、江戸時代の人はとにかく歩いた
現代の様に車も電車も飛行機も‥自転車さえもない時代だから、とにかく歩いた
交通手段と言えば籠か馬はあったが、やはりお足(お金)がかかる
場所によって渡し船に乗るぐらいだ。
江戸の町中は運河が張り巡っていて、猪牙船と言う手段もあるが
やはり一般庶民にはお足がかかり手がでない。
現代なら新幹線で2時間余りのところを、普通の男性で日本橋から京都まで、
1日40キロ近く歩いて2週間かかったそうだ。
しかしだ‥奇麗な空気の中、無駄で余計な建物も目に入らない景色は
さぞ美しかっただろう。
その建物も自然素材ばかりの言わば目に優しい建築物だ‥‥
こんな長屋の道具達も化けて旅に出たくなったんでしょうかね‥‥?


                                                   ©Illustration by Daisuke Ota

「こうして化けて旅に出られるのも大神宮様のお陰と、長屋の道具しゃもじ郎を
先達にし、鉄瓶助・行灯太・お椀子に箸之助がお伊勢さん目指して
テケテケテケテケ、珍道中。さあもう直ぐ箱根だ箱根だ」
「楽しい♪楽しい♪お伊勢参り♪お伊勢参り♪」

| ● 江戸のお話色々 | 14:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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科学江戸絵本

江戸は水路の町だった

この絵本は江戸の水をテーマに小学生上級向けに作った絵本ですが
そんな年齢のお孫さんを持つ世代の方にも読んで頂きたい絵本です。
大体のストーリーは、二人の孫を持つおじいちゃんが
江戸時代はどんな世界だったかを不思議な機械を通して教える‥‥
ちょっとSFが入った様な、しかし真面目な科学絵本です。
おじいちゃんは幕末江戸のある船頭さん一家の生活を見せますが
この一家は‥実は‥‥‥最後に驚きの落ちが待っています。
現代の場面を茶色の版画線と色で表現して、江戸の場面は水だけに色を
入れて他はすべて墨のトーンにしました。
制作風景の写真も載せましたのでどうぞお楽しみください。

カラクリ江戸案内絵本
●「カラクリ江戸あんない」福音館書店
●朝日新聞夕刊に取り上げられました。

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●朝日新聞記者&カメラマン等による取材


簡単な制作風景の紹介です

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●下絵を前に置いて、絵本の表紙を掘っているところです。
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●青版を刷るところです!(P30-31)
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●彫り作業中の版木クローズアップです(P26)
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●木版画専用のブラシです(馬の毛)故野方金太郎さん作


●アマゾンの紹介文より

おじいちゃん特製のカラクリをのぞく二人の目に写ったのは、なんと、江戸時代!
 二人はもうびっくりです。カラクリ内の主人公は、粋な姿の船頭“喜助さん”。
猪牙船にお客をのせた喜助さんの案内で、佃島や魚河岸、人でにぎわう日本橋などを
見ていきます。
さらに、花火や紅葉狩り、雪見など、四季折々の江戸の景色と
それをゆったり楽しむ人びとの姿を見ながら、おじいちゃんが江戸の上下水道の話や
海運の話などを二人にしてくれます。
江戸がいかに水にあふれ、いかに船が活躍していたのかがよくわかります。
そんな水の都「江戸」を紹介してくれた喜助さんですが
はたしてその正体とは……? 意外な結末が待っています。
時代劇やチャンバラなどで見慣れた感のある江戸の世界が、ポップな版画を通してより
親しみやすく浮かび上がり、はるか昔だと思われている「江戸」と「いま」
とのつながりを感じさせてくれる1冊です。


| ●Extra 本の紹介など | 10:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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手紙

江戸のメール

現代は電話線を使って世界中がインターネットで繋がっていますが
江戸時代はといいますと‥‥この「便り屋」と言う商売人がいました
文を入れたはさみ箱を担いで、棒の先に風鈴をこしらえて「チリン、チリン」
と鳴らしてふみ(メール)のやり取りの手助けをしていたそうです。
今で言う所の「郵便屋さん」ですね。

「おやっ、チリンチリンの文吉が来たみたいだよ。
あたしも伊勢屋の旦那に一通頼もうかしら‥‥」

てな感じだったんでしょうか‥‥
いたって便利そうですが、この商売が登場したのは、ペルーが来た頃の幕末頃ですから
もっぱら商家ですと丁稚や番頭に手紙を託したり、遊郭では遊女から客への手紙を
渡す「文係」なんてのがいたそうです。
武家だと国元にメールを急ぐ場合は、早馬なんかを使えたでしょうけどね。
特に江戸の商人の間では、礼儀を重んじて相手の都合を伺うため
伝達人を使って前もって尋ねる旨を伝えたなどと聞きます。


Illustration by Daisuke Ota

| ● 江戸のお話色々 | 15:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ピクニック

 船 遊 山

虫の音を楽しんだり、こうして「雪見」なんかを楽しむのは、日本人独特の
楽しみらしい。
他にも、春は「花見」夏は「涼み」や「花火見物」秋は「紅葉狩り」と
江戸のちょっと余裕のある人は、船でこうした遊山を楽しんだと聞きます
絵は絵本の一場面ですが、商家の若旦那が小さな跡継ぎを乗せて
一緒に雪景色を楽しんでいる様子です。
karakurip42b.jpg
「カラクリ江戸あんない」P42

「船頭さん、無理たのんじゃってわるいねェ。
この子がどうしても船の上から雪が見たいっていうもんでねェ」
「いえ、かまわねェですよ。こちとら、雪見に船出すのはなれっこですから。
坊や、こんな雪はめったに見られねェから、しっかりと目にやくつけとくんだよ
旦那、橋くぐるときは頭きいつけてくだせい」

| ● 江戸のお話色々 | 15:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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江戸短編小説

焼継屋

江戸の寛政年間(1789~1801)「焼継屋」と言う瀬戸物直しが流行し、
瀬戸物屋が潰れる程だったといいます。
そんな行商職人(リサイクル職人)をタコに見立てて、子供との交流を短い
ストーリーにまとめたのが、「なおし屋タコ吉」です。
掲載されたのが月刊誌だったので、ブログ上で読めるように復活させました。
ほのぼのとした良いお話なので、読んでいただければ幸いです。
(福音館書店・〝おはなしポケット〟より)
●豆知識
江戸では、「寺子屋」は店の屋号とイメージが重なるのを嫌って、「手習い所」又は、
縮めて「手習い」と言いました。(江戸意外では「寺子屋」の単語を使った)
先生は「手習い師匠」で、生徒は「寺子」です。
机は親が用意するか、手習い所のを借りました。この物語りでは、話の流れから、
自分で机(天神机)を担いでいます。
新入生は、先輩に煎餅などを配ったそうです。昔から日本人はご挨拶の
手土産が好きなんですね。


タコ吉1

タコ吉2

なおし屋タコ吉

なおし屋タコ吉

takokichi5.jpg

takokichi6.jpg

takokichi7.jpg

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takokichi9.jpg

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takokichi11.jpg

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| ●Extra 本の紹介など | 20:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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江戸ガール1~5

                 Time travel



「ちょいと、お千や。最近妙な男の噂があるらしいけどお前しらないかい?」
「し‥‥知りませんよ‥そんな男‥」
「おやっ?その顔は何か隠してるね?あたしの目はごまかせないよっ」
「なっ‥‥何も‥‥」
「じゃあいったいこれはなんだい?この奇妙な物は?
 この江戸じゃこんな得体の知れない物見た事ないよ。
 お前まさか、唐人と通じているんじゃあるまいね?」
「‥‥‥‥」

(江戸の庶民は、外国の人間をひとからげに〝とうじん〟と言った)

もしも現代の男が江戸にタイムトラベルして、江戸の若い娘と通じたら
その母親と娘の間で、こんな会話が生まれたかもしれませんね。
現代のハイテクを皮肉った、〝Edo girl〟シリーズです。
(江戸時代に描かれた絵を数多く模写された、三谷一馬さんの絵を参照しました)




edogirl5.jpg
Illustration by Daisuke Ota   喜多川歌麿 参照

「旦那さんの世では、こんな物作っておいでか、
この江戸にはもっと面白い物ありますえ」

※丸髷に髪上げをしているので、湯上がり姿です。
 


Illustration by Daisuke Ota    歌川国貞 参照

「この摩訶不思議なる物は、未来から来た旦那が置いてったんや。
 次来た時は、この棒手振の人形と、提灯あげましょっ」





edogirl2.jpg Illustration by Daisuke Ota   三谷一馬「江戸庶民風俗図絵」参照

「未来から来た旦那がくれたんやけど、〝でんち〟言うもんがなくなったら
 終わりやそうや」



edogirl3.jpg Illustration by Daisuke Ota   三谷一馬「見世屋図衆」参照

「冷とうて、重とうて、こんな物この江戸では役にたちません。
 それより今度いつお戻りや」




edogirl4.jpg Illustration by Daisuke Ota   三谷一馬「江戸年中行事図衆」参照

「あの人ったら酷いよ。又〝みらい〟とやらに行っちまったのかね。
 それにしてもこれは、提灯より明るいよ!」



| ●江戸Girls | 21:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Progogue

プロローグ 旅

           1973年夏 福井県 栃ノ木峠


17才高校生の時、ゴルフ練習場で一年間アルバイトをして自転車のフレームを
オーダーしたのが、今でも続いているぼくの自転車人生の始まりです。
(ちょっとオーバー?)
その時は女の子に目もくれず?奥武蔵や信州の山道を走り回り
20歳の時、中部日本を自転車で一周しました。
東京を出発して軽井沢経由で長野を通り日本海へ。
能登半島を一周して福井を経て名古屋へ、東海道を東へ‥‥箱根峠を越へ東京へ。
走行距離約1400キロ。二週間の旅でした。
その3年後の23才の時、キャンピングでアメリカ横断‥‥
しかし、不慮の事故で自転車とカメラを壊したが、奇跡的に体は無傷!
車に乗り換へロスアンジェルスからニューヨーク、そして返してシアトルまで又横断。
走行距離約1万キロ。こちらは一ヶ月半の旅でした。

父方の祖父兄弟はそれぞれロシアとアメリカに渡り、実業家として成功!
しかし日露戦争と第二次大戦で二人は全財産を失う事に‥‥
片や母方の祖父は、東京浅草の職人。
こんな〝全くちがった旅と祖父〟の影響がアメリカンポップな作品と
江戸時代に繋がっているような気がしてなりません。

Am76B2272.jpg 
         1976年夏 アメリカ ネバダ州

| ●プロローグ | 20:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Progogue2

アメリカンポップと江戸時代

グラフィックデザインの仕事を経て、木版画を始めたのが1980年頃でした
それから新しい感覚の木版画を作ろうとアメリカンポップな題材を追いかけました
その作品を持って2001年9月にニューヨークのギャラリーに売り込みに行く
事になったが、「9.11」が起こり、仕方なくそれを10月にの延ばす事に‥‥
しかし、あの状況下で売り込みが上手くいく訳もなく帰国。
その後、日本の景気も9.11を境に悪くなり、イラストレーションの仕事も激減
その代わりに暇が沢山出来、ふとした切っ掛けで2006年頃から江戸時代に
興味を持つ様になり、それに関する書籍を読みあさりました。
それが形となり、「カラクリ江戸あんない」という絵本が出版されました。

そんな経緯で、これから江戸時代をテーマにした絵本や読み物に挑戦する一環として
このブログを始めました。

APフロリダ
     壁画の為に制作した、スノードームシリーズの一点「フロリダ」

New York Red
           スノードームシリーズ 「ニューヨーク」

| ●プロローグ | 15:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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